信州諏訪 (有)山田養蜂場
みつばちと共に80余年
昭和30年頃の移動養蜂の様子 |
当時の販売店の写真 |
(有)山田養蜂場の歴史
1941年(昭和16年)、㈲山田養蜂場は先々代の山田為次郎によって創業されました。
当時、養蜂場を創業する前は、豆腐屋を営んでいましたが、太平洋戦争の影響で職業の統制が行われ、豆腐屋を続けることが困難になりました。
そこでちょうどこの時期、養蜂をはじめていたことがきっかけで養蜂業へと転業しました。
やがて終戦を迎え、全国へ採蜜を行う「移動養蜂」が可能となり、九州南端から北へ向かって採蜜をはじめました。
蜜群が増え始めてきたことから、信州諏訪に販売店を開設。当時はまだ新しいビンの購入が難しく、お酒やウイスキーのビンを再利用し、販売していたようです。
販売店が軌道に乗ったところで、国産・外国産のはちみつの種類を増やし、新商品の開発や卸売拡大に力を入れてきました。
そして、現在、はちみつをはじめ、蜂の子・ローヤルゼリー・プロポリスに至るまで、広くみつばちに関わる食品を販売し、卸売や通信販売の事業を展開しています。
また、小学生や高校生に向けて、みつろう体験やみつばちに関する講義も実施しています。
(有)山田養蜂場のロゴマーク
このロゴマークは故原田泰治さんのデザインです。 原田泰治さんにデザインをお願いした経緯について紹介したいと思います。
原田泰治さんは、昭和15年(1940年)諏訪市に生まれました。農業をするために一家で下伊那郡伊賀良村に移り10年間過ごしました。
その後、泰治さんの父親が諏訪市で看板業を再開したため、泰治さんも諏訪市に戻ります。
上諏訪中学校、諏訪実業高校をへて、武蔵野美術大学に進み、商業デザインを学びました。
卒業後、再び諏訪市に戻り、泰治さんのお兄さんが経営していた「豊光堂看板店」と同じ場所に、昭和38年(1963年)「豊光堂デザインスタジオ」を開きました。
ちょうどその頃、豊光堂看板店の社長(お兄さん)と親交のあった山田養蜂場の初代社長の山田一郎が、
泰治さんにデザインをお願いし出来上がったのが、このロゴマークです。60年も前のロゴマークですが、いまだに斬新なデザインですね。
店舗内観
店内の様子 |
ご来店の際、はちみつジュースをサービスでお出しています。みなさまのご来店をお待ちしています! |
はちみつ試食コーナー 約20種類以上のはちみつを無料で試食できます |
店舗外観
店舗 正面 |
店舗 横 この看板が目印。駐車場完備しています。 |